塾業界の教育について感じること

学習塾、いわゆる中学受験塾に僕が入社したのは今から20年近く前のことです。
関西に拠点を置く塾で、関西には3大私塾があり、「浜学園」「希学園」「日能研」が有名です。
そこに「馬渕教室」(高校受験ですでに大きなシェアがあった)などが参入する状況でした。

僕は、そこで最初授業研修でボッコボコにされ、
教科主任からは「算数ができない塾講師は塾講師ではない」と言われ、社会の講師として雇用されつつも、
社内で行われた「算数検定」に参加し、部内でブービー(受験者125人中124位)となりました。
なお、同じく文系の講師だった国語の同期二名は受けていませんでした。受けない選択肢があるなら教えてほしかったものです

この「社内算数検定」は、四谷大塚の問題集から5回にわけて出題されるものでした。
僕は歴史を教えたくて入社したのであって算数の講師として入社したわけではないし、中学受験の経験もないので、解き方がわかりません。
「そんなの自分でなんとかしろ」というのが当時の社風でしたので、朝の四時くらいまでうなって勉強して、結局ブービーでした。

社会の講師としては授業アンケート最下位(生徒に対して取るものです)でした。

当然、新人講師は下のクラスを持たされます。できない生徒が多いのだから、アンケートが「わかりやすい」になるはずがありません。
必死に作った確認テストをカンニングする生徒も当たり前のようにいました。
このアンケートでも僕は社会科で最下位となり、部長に「お前やめろや」と言われるようになりました。
先輩の先生が使用したプリント授業をマネしたら、「A先生(先輩)はええねん。お前はそれしたらあかん」という理不尽なこともありました。

ただ、僕は三年間は何とかしがみつくのが目標だったため、三年間しがみつくことにしました。
予習をし、問題を解き、楽しい授業をすることを心がけました。授業中に落語をしたこともあります。歌を歌ったこともあります。
しかし…その生徒は不合格になり、保護者から
「名刺もってこい!」
「裁判にするからな!」
「うちの子が貴様のせいだといつも泣いているんだ。責任をとれ。とり方はわかるよな?誠意だ。誠意を見せろ」


土曜の朝に出社したとき、1時間ほど寒空の下でクレームをつけられたことも何回もありました。
その保護者は私の授業を1ヶ月、ずっと廊下から見ていました。

「社会の先生がつまらない」
「社会の授業が面白くない」
「社会の先生を変えてほしい。○○先生のほうがよかった」

何回も何回も聞いたことばです。僕が入社したことによってクラスが1個増え、問題児たちは僕のクラスへ。
アンケート至上主義だった当時、社会科は「楽しくて面白い教科」ですので、算数、国語、理科の先生に比べて圧倒的にアンケートが良かったのです。

そんな中、理科の先生に
「なんでお前 社会の先生なのにアンケート悪いの?社会なんてアンケートよくて当たり前やん。他の先生全員ベスト4やん」
という声をかけられました。
すでに「お前」という呼び方が今ではコンプラにひっかかりそうですが、当時はそんな時代ではありません。
「僕に実力がないからです。わかってます。がんばります」
理科の先生の返答を無視して答えました。

僕は一年くらいつきましたが、その頃からパニック障害を発症しました。

翌年。
また「社内算数検定」の季節がめぐってきました。
後輩に灘中、灘高から東大神戸女学院中高から京都大学というスーパーエリートが二人。他も阪大、神大、同志社、立命、エリートばっかりです。
でも、もう後には引けません。ここで受けるのをやめる(文系講師は受けなくても良い制度もできていました)のもありましたが、ブービー森のまま終わってしまいます。

結局、僕がこの「社内算数検定」のテキストをまわした回数は15回。最後はほぼ問題を見ただけで解法、さらには答えまで思い出せるほどでした。
二年目の試験の結果は1000点満点の980点。わずか二問だけのミスが原因でした。東大出身、京大出身の二人は満点でしたので勝てませんでしたが、のちに一緒に仕事をすることになる同志社出身の算数講師に勝つことができました。(彼とは今でも連絡を取っている友人です)

その後、目標の三年が過ぎました。
僕が入社したときにいたA先生(歴史が得意)は大学受験部門へ。B先生(地理の講師で私立高校での指導経験もあり)は本社へ。C先生は産休。D先生は結婚して退職。一気に人数が減り、僕はなんと教科主任になりました。

なお、このA先生は「森、お前は公民(政治分野)をマスターしろ。大学受験まで教えられるようになれ。そうすれば唯一無二の存在になれる。Cさんは産休だから、今しかチャンスないで」
この一言により、僕は政経の大学受験の参考書を買い込み、そこから法律に興味を持ち始めたのです。
※なお、この先生には僕が行政書士になったときにお礼をいいました。

後輩が二人。一人は早稲田の院で歴史バリバリ、もう一人も中途採用で業界歴が長い先生でした。その翌年にはこの塾の卒業生である女性講師E先生、東北出身の優しいF先生、若くてイケメンのG先生が入り、社会科は最大勢力になりました。僕もクラスの担当を任されるようになり、また、男子4教科組(灘が三教科なので、当時は大阪星光や清風南海、西大和などしか社会科が必要な学校がなかったのです)さえ任されるようになり、そこから多くの合格者を出すことができました。

さて、ここまで色々と書いてきましたが、僕の新卒の頃の塾講師生活はボロボロでした
3年たってマシになり、5年たって教室を任せられたものの、10年たったら「個別指導部門への異動」を言い渡され、さらに4年後には本社勤務となりました。まあ、体の良い左遷でした。
私塾業界に入って20年になりますが、この15年の関西での生活は、よくも悪くも一生懸命でした。6年異動を重ね、3年九州で別の塾で働き、現在行政書士として開業しています。

ブラックといえばブラックだったのかもしれません。
先輩も、ブラックな先輩もいれば優しい先輩もいました。
後輩にはこんな思いはしてほしくないと思っていたので、後輩を叱ったことは一回もありません。「森さんが教科主任でなかったら僕はとっくに辞めています」という後輩もいました。

「できない生徒が塾に来る。できる生徒は最初から塾に来ない」
「間違えるから塾にくる。間違えないと自分のわからないところが、わからない」


僕の持論です。「なんでわからないの?」ということばを、僕は生徒に言ったことがありません。それは講師の仕事を放棄しているからです。
わからないから授業を聞いているんです。

選んではいけない塾を書きます。
「生徒を『弾』と表現する塾」
「各教室ごとの合格者を提示していない塾」

ここは危ないです。

『弾』とは塾でよく使う隠語で、例えば「灘中の『弾』は何人おるんや」(今年灘中を受けて受かる可能性のある生徒は何人いるのか)というように使います。面談などの時に耳を澄ませてみてください。結構、聞こえます。
生徒を『弾』と表現したこのことばを聞いた瞬間、僕はこの会社は長くないなと思いました。

また、各校舎の合格者を提示していないということは、その校舎の先生はあまり頼りないということを指します。本校がある校舎は、本校に当然力を入れるので、人気のある、実力のある講師は本校にいます。サテライト衛星講師は、たまに営業力がずば抜けているので校舎に回されることもありますが、本校の講師と比べて実力のないことが多いです(そうでない講師もいます)。

僕は本校も衛星校舎も担当したので、それによる感想です。

「二月の勝者」という漫画があります。あれはかなり現実面に近いです。塾選び、多額のお金がかかります。
本当に慎重に、お子様の相性を考えて決めてください。

中学受験というのは、12歳の小学生がはじめて「自分を否定されるかもしれない試験」なのです。

塾業界は公立小学校とは違い、「資本主義の世界」です。
しかし、その実態はブラックボックスに覆われています。
それを少しでもお知らせできれば幸甚です。

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